今年、42年間の歴史に幕を下ろした田町ハイレーン。
たくさんの人々に愛されてきただけに閉館を惜しむ声も多く、最終日には数百人のお客様やマスコミ関係者が押し寄せました。
さすがテレビ慣れしてるスタッフの方々
それは1カ月ちょい前・・さくら舞い散る中、ちょっとおセンチになりつつ「ヒュルリーラヒュルリーラ♪」口ずさんでいたら、田町ハイレーンさんから1通のメールが到着。
「閉館後の田町ハイレーンを取材しませんか?」
え!
田町ハイレーンだけにもう入れ~んと思ってたのにまだ入れ~る!?
しかもみなさんビル解体の手配とか残務処理とかで多忙なはずなのに、そんな最中にご招待ってどういうこと!?
実をいうとこのとき、田町新聞として取材するべきかちょっと躊躇しました。
だって、楽しい思い出がいっぱいある人たちにとって、最後に誰もいなくなって廃墟と化したイメージの記憶が残るのは辛いよね!?
それに前回の記事(詳しくはこちら→前編・後編)でもうお腹いっぱいでしょ!?
編集長に相談したところ、
「いいんじゃない?」というひとことであっさり取材決定!
とはいえここから先は閉館後ならではの物悲しい内容が含まれているかもしれません。
アラウンド傷心!という方はご注意ください。
あれっ、ドアが開かないよ~
誰かぁ~~!
\ こっちこっち!そっちはもう開かないから /
だっ、誰!?
駐車場から声を掛けてくれた田町ハイレーンさん。
※諸事情により、今回ご登場の社員さんは「田町ハイレーンさん(非公認キャラ)」としてお送りします。
田町新聞
「あ、こんにちは!そっか・・もう閉館してるから開かないよね・・(しんみり)あっ、駐車場にはまだ専用のバスがありますね!」
田町ハイレーンさん
「あれは売約済みです」
田町新聞
「そ、そうでしたか・・(再びしんみり)あっ、最終日の投げ収めは大盛況だったようですね。全部で来場数はどれくらいだったんですか?」
田町ハイレーンさん
「600人くらいですね。マスコミ関係者は全部で14社」
田町新聞
「そんなに来たの!?」
田町ハイレーンさん
「13時頃に中山律子さんが来ると、そっちにマスコミが集中しちゃって中山さんの記者会見みたいになってたね」
田町新聞
「さすが伝説のプロボウラー・・」
なんて話しながら、エレベーターで5階フロアに到着!
スイッチ・・
一見変わらないんだけど、ハウスボールが転がっていたりレーンにピンが無かったりして
祭りのあとのような寂しげな雰囲気が漂っていました。
田町ハイレーンさん
「なんでも好きに撮ってください。
もうマシンは動いていないけど今日も裏側見ますか?マシンの上に登ってもいいですよ」
田町新聞
「えっ登っちゃっていいの!?」
登ってみた!
重厚なメカたちがずらっと足元に・・ここはターミネーター製造工場か!? 今回の取材もまさか「I’ll be back」するとは思わなかったし。
59と60のレーンはP★League専用。
今後の活動拠点は川崎グランドボウル(予定)とのこと。
田町ハイレーンのマシンは、全てA-2というタイプ。創業時から42年間変わらず稼働してきたっていうからすごい。
人間の場合大卒で就職して23歳から42年働くと65歳、ちょうど定年だし。
いちいちアップグレードとか増設とか買い替えとかしなくても、メンテナンスしながら何十年も使えるなんてすごいな~。
田町ハイレーンさん
「業者さんからはまだ2~3年しか使ってないように見えるといわれます。
これがうちの自慢です(どや)」
田町新聞
「恐れ入りました」
まだまだ現役のマシンだけど同じA-2の引き取り先がないことや運搬費用の問題で、残念ながら田町ハイレーン閉館をもって引退。
田町ハイレーンさん
「今日はレーンの上を歩いてもいいですよ。手前半分にはオイルが引いてあるから気をつけて」
田町新聞
「えっ歩いちゃっていいの!?」
レーンのちょうどまんなかから振り返ってみる
指で触ってみると確かに手前はオイリー
こんなギリギリまで接近!
ボウリングマシンに登って「絶景かな!」とか、レーンを小走りで走って「ボウルの気持ち!」とか、田町新聞がきゃっきゃはしゃいでいると、受付では田町ハイレーンさんがなにやら作業中。。
田町新聞
「ところで田町ハイレーンさん、今回我々を呼んだ本当の理由を教えてくれませんか」
田町ハイレーンさん
「後ろ見て」
振り返ってスコアモニターを見上げると、、
田町新聞
「なんじゃこりゃあああああああ!」
田町ハイレーンさん
「ふふふ」
地・元・ウ・ェ・ブ・サ・イ・ト
田・町・新・聞・読・み・ま・し・ょ・う
田町ハイレーンさんは受付のコンピュータで我々へのサプライズを仕込んでいたのだった!
田町新聞
「地、元、ウ、ェ、ブ・・あれ、涙で曇って読めない(泣)」
いやこれホントやらせじゃないんで・す・YO!
つーか田町新聞にそんな権限ないし・・
合成でもないんで・す・YO!
合成じゃない証拠に動画でご紹介・・するほどじゃない?
あ~い、とぅいまてぇ~ん。
感動のあまりしばらく「すごいすごい」としかいえず、ボキャブラリーの無さを露呈しまくる田町新聞。
もしかして田町ハイレーンさん・・このサプライズのために・・!?
田町ハイレーンさん
「プロショップ見ます?」
ツンデレなのか田町新聞との温度差なのかさくさく進行しちゃう田町ハイレーンさん。
もう商品はなにも残ってないのね~と思ったら、
まだ穴を開けていない新品のボウルがひとつ、ふたつ、残っていました。
毎日全てのレーンにオイルを引いてきたマシン(価格400万円以上~/田町ハイレーンさん談)
田町ハイレーンさん
「このドアも本邦初公開!ここは6階直通エレベーターなんですが、元々は各停だったから各階にドアが残ってるんですよ」
シャッターの裏側に封印された、開けると落ちちゃうドア!
田町ハイレーンさん
「靴貸出機の裏側が見てみたい?いいですよ。ここも未公開かもしれない。この機械は結構高かったんだけど、減価償却してるから大丈夫」
裏側はかなりオープン!ちょっと自動販売機みたい。
田町ハイレーンさん
「ここはゲームコーナーです。ボウリングブームの頃は順番待ちがすごかったから、時間をつぶすために作ったんですよ。まだ使えたけど全部廃棄だね」
だいぶ廃墟感を醸し出しているゲームコーナー
田町新聞
「ここの携帯通和室が気になるんですけど・・」
携帯通和室で快適な通話タイム(イメージ)
田町ハイレーンさん
「元々は電話ボックスだったんだけど、NTTが1日4,000円以上の収入が無いと引き上げると言って電話を撤去したんです」
田町新聞
「みんな携帯電話持ってますもんね」
田町ハイレーンさん
「そう。でもボーリング場内ってボールが転がる音とかピンが倒れる音、マシンの稼働音などで結構うるさいから、わざわざみんなこの階段付近まで来て電話してたんですよ。それならこの電話ボックスを使ってもらおうと思って。中に入ると全然違うみたいですよ」
田町新聞
「へ~。じゃあ4階の『男子更衣室』も使う人っていたんですか?」←なにげに失礼
田町ハイレーンさん
「ここも電話ボックスだったんですが男性だったら着替えられるだろうということで作りました。常連さんは実際使ってましたよ」
さ~着替えよっと。(イメージ)
田町新聞
「スーパーマン的発想ですね。この流れだと3階には『女子更衣室』があると思ったんですが・・」
田町ハイレーンさん
「女性はロッカー室やトイレの更衣室で着替えられます。ちなみにロッカー室はこちらです」
がらんとしたロッカー室に常連さんの私物が少し残っていました。
田町ハイレーンさん
「ロッカーの引っ越しがまだ残っています。これだけの数になると1か所では無理なので、品川プリンスホテルボウリングセンターや、東京ポートボウル、平和島スターボウルなどのロッカーに分散して預けてもらうことになりました」
田町新聞
「そっか、常連さんのホームもバラバラになっちゃうのね・・(しんみり)あ、東京ポートボウルはご近所さんですね」
田町ハイレーンさん
「中華レストランのお皿なんかはポートボウルにあげちゃいました」
田町新聞
「ってことは・・」
大公開!田町ハイレーン備品の行方
・レストランのお皿→ 東京ポートボウルへ
・レストランの椅子→ 売却済
・ピン→ ピンメンテ会社へ
・ハウスボールやラックなど→ プレゼントまたは廃棄
・ボウリングマシン(A-2)→ 廃棄
・A-2用パーツ類→ A-2を使用しているボウリング場へ
今後、東京ポートボウルのレストランで田町ハイレーンの面影に出会えるかも!?
田町ハイレーンさん
「お風呂見ますか?」
田町新聞
「はい・・え?」
9階の浴室というドアを開けるとそこは風呂場だった
田町新聞
「えええ!ボウリング場になんでお風呂!?しかもふつーのユニットバス・・」
田町ハイレーンさん
「私しか使ってない(笑)」
田町新聞
「なるほど。長年勤務しているうちにいつしか田町ハイレーンと一体化してしまい、ここで毎日身を清めないと普通の人間に戻れなくなったんですね。顔がボールになっちゃったりして・・」
田町ハイレーンさん
「ちょっと違います」
田町新聞
「ちょっと・・?」
田町ハイレーン創設者(会長)の龍野日吉さんの写真が飾られ、簡素ながら昭和ムードたっぷりの支配人室
最後は屋上へ。
ゴルフ用に覆っていたネットが撤去されさらに開放的になった屋上フロア
9階とは思えない眺望だな~と思ったら・・建物の高さとしては14階相当のため、実は14階建てとして届けているそう。
田町ハイレーンさん
「もっと上行ってみる?」
田町新聞
「えっ、ここ屋上でしょ!?」
さらに階段を上り、若者たちのフォークソングが聞こえてきそうな、これまた昭和の香りただようスタッフのロッカールームを抜けて、
いちばん奥の扉を開くと・・
田町ハイレーンのほぼ頂上へ到達!!
屋上の屋根部分だから周りにさえぎるものも手すりもなし。
ひょえーーー・・・・・
スリルと浮遊感はんぱない。。
田町ハイレーンさん
「ここも初公開だと思いますよ。はじっこに行くと落ちるから気をつけて」
田町新聞
「はーい。わーシンボルピンが近い!」
実は避雷針も兼ねている田町ハイレーンのシンボルピン。
ときには、ボウリング場を目指す人たちの目印として・・
ときには、モノレールの車窓から見える東京のいち風景として・・
変わらない姿を人々の思い出に残してきたシンボルピン。
そして新耐震基準の導入以前に建てられているけれど、4年前の震災時もひびひとつ入らずに耐えた頑丈な建物。
「まだまだ使える」
田町ハイレーンさんがたびたび口にしていたその言葉にこめられた思いに、田町新聞はただうなずくことしかできません。
ウリングが東京オリンピック・パラリンピックの追加種目として承認されるよう活動中。
田町ハイレーンさん
「ボウリングは国内に1500万人近い愛好者がいます。それに障がい者の方々も同じルールで参加できるスポーツなんです。
私たちはボウリングを正式種目にしてメジャーにしていかないといけない。第2の黄金時代を作って行きたいんです」
ボウリングブームが去って40数年・・また黄金時代は来るのかな?来たら面白いな。
時代に流されるのも人だけど、その時代を作るのも人だから、田町新聞は今後に期待しちゃいます。
最後に、田町ハイレーンの吉川社長、川崎さん、そして田町ハイレーンさん、閉館直前から閉館後に渡る取材に、溢れるほどのご協力をいただき本当にありがとうございました。
田町ハイレーンでの思い出は永久に不滅です!